新たなる旅立ち 新幹線はやぶさ初日を振り返る
白い闇の向こうに静まりかえった街・・・3月5日未明、私は吹き
荒れる雪と風の中、友人と共に新青森駅へと向かっていた。
新駅までは青森市の中心部から約3キロほどなのだが、風雪の激
しさの前に、その距離が何倍にも感じられる。3月に入っても津
軽はまだ、冬の真っ只中なのであった。
雪を漕ぐようにしてたどり着いた新駅の通路は思いのほか、
明るい。風の音だけが低く響く構内には、早くも先客の姿が。
もちろん、いつもこんなに夜通し、客がいるわけではない。
私はこれから数時間後…おそらく東北のみならず、日本の鉄道史
に刻まれる特別な朝を待っていた。最新鋭の新幹線E5系はやぶさ
の一番列車「はやぶさ4号」が出発するのだ。
約半世紀にも渡って、進化し続けてきた新幹線の歴史。時速300
キロのスピードと、これまでの新幹線でも最高峰の客席となる
「グランクラス」を兼ね備えたはやぶさは正にその頂点に立つ
存在といえる。
そしてこのはやぶさは、北海道にとっても特別な意味を持つ。
新幹線が青函トンネルを越える4年後、東日本からの乗り入れ車
両として使われることが確実視されているからだ。ついに想像
の世界でしかなかった、北海道を走る新幹線車両の現物に会える
日がきたのだ。
興奮と凍えが一緒になったような身震いを、じっとこらえつつ、 その時を待った。そして早朝4時を周ると、それまで時間が止ま
ったように押し黙ったままだった周囲が、一気に動き出す。
私の後ろの列の長さがまたたく間に10倍くらいに伸びていく。
出発式関連のスタッフ・警備陣が続々と構内入り。マスコミ各社
も大挙して取材に訪れ、私もインタビューされてしまった。
あの寒さはどこへやら。一帯をすさまじい熱気が包み始めていた。
5時半となり、まず、デビュー記念の入場券を購入。そして開け
られた改札を通り、いよいよはやぶさと対面する時がやってきた。
警備陣に囲まれるようにして、エスカレーターを昇ると、そこ
には目の覚めるようなエメラルドグリーンに彩られたはやぶさ
の姿があった。その「鼻」は長く、つややかで、まるで陶芸作
品?とも思えるほど。念願の本物に出会うまでの歳月と、今日
ここまでの雪中行を突破してきた到達感で、「たどり着いた」
という言葉が口をついて出た。
先客やマスコミはグランクラスの周囲を取り囲んでいる。
その輪に加わると、暖かな照明に照らし出された白い豪華座席
が見てとれた。皆でブランド品店のショーケースをのぞいてい
る感覚に近い。
グランクラスは厳戒態勢で入れそうにないので(後日、見学させ
てもらった)、隣りのグリーン車から車内へ。ここも照明が印象
的。がっしりした座席もさすがで、これだけでも十分に思える。
ようやく予約していた普通車へ。こちらもとても落ち着いた室内
だ。新幹線では初めて、すべての座席に可動式の枕がついている。
枕は思いの外、やわらかく、これに身を委ねるだけでも十分な満
足感が得られた。とにかく全体のグレード感がとても高い。
荷物を置いて、どんどん前へと進んでみる。大半の人は外で撮影
でもしているのだろうか。意外なほど、人気がない。
そして先頭車両のドアからのぞくと…正に出発式の真っ最中。
なんと、式典を見渡せる最前部に出てしまった。
まさか、こんな特等席が空いているとは・・・
厳粛な雰囲気の中、目の前で青森県知事・市長といった方々が、
次々に挨拶を繰り広げる。東日本の社長さんの姿も見えた。
ホームの端では報道陣のカメラの放列が敷かれ、世紀の瞬間を
一瞬たりとも逃さない構えだ。
会場のモニターで、吉永小百合さんからの祝辞が放映されると、
会場から「おおっ」というどよめきが挙がり、会場のムードは
最高潮に。続いてテープカット、くす球割りと続く。一方で隣り
の運転席は至って冷静。レバーをチェックするような、「ガガガッ」
という音が時折聞こえてくる。いよいよ発車間近となり、緊張感
もピークに達しようとしていた。
地元代表の一日駅長3人を含む、4人の駅長がその手を夜明けの空
へ向け、すっと上げた。ドアが閉まる。
そして次の瞬間、その姿と歓声が残像に変わった。
はやぶさは夜明けの銀世界へと滑り出した。気がつくと、あの
出来事は夢だったのかと思うほど、落ち着いた時間が流れてい
た。
新青森から盛岡までは260キロしか出さないのだが、静かで揺れ
もほとんど無い。雪の影響も全く気にならない。見事な滑り出し
である。あっという間に八戸へ。ここでも見送りを受け、車販
で記念品を購入したり、友人と話しこむうち、もう下車予定の
盛岡となってしまった。
ここまでわずか53分。はやぶさの登場によって、新青森から東
京へは最速で3時間10分となり、函館からでも5時間29分と、つ
いに5時間半を切るまでに近づいた。今回は300キロの走りは
お預け。もっと遠くまで乗っていたいが、やむをえない。
東北新幹線が最初に開通し、新幹線には慣れているはずの盛岡
でも、今日は大フィーバー。そこら中で踊りや音楽の演奏、特
産品やお菓子の配布などが繰り広げられ、しばし、お祭り気分
を満喫する。中でも駅オリジナルのデビュー記念絵はがきが配
布されたのは嬉しい。ここで下車してよかったと思う。
駅付近で友人と朝食をとり、今度は東京からの一番列車「はや
ぶさ1号」で折り返す。
構内のお祭りはなお続き、今度はお餅とお茶を振舞われた。
ホームもたくさんの見物人でごったがえし、新幹線が接近して
くるのが見えないほど。どうにか、最後尾の1号車に乗り込み、
再び車窓を楽しんでいると、二戸駅を通過したあたりで、突然、
速度が下がり出し、スーッと停まった。後から聞いた話では、
子どもが非常ボタンを押してしまったためとのこと。
しかし、それ以上に、急停車でも揺れがほとんど無かったこと
に驚かされた。はやぶさは誕生早々のトラブルまでも、その凄
みを見せつける機会にしてしまったかのようだ。
気を取り直したように走り出す。雪景色が美しい。やがて北海
道の景色もこの窓から見られる日がやってくるのだろうか。30
分ほどで新青森へ。またまた人、人、人であふれ返る。東京か
らの一番列車を迎えようと、駅構内は盛岡以上に歓迎行事一色
となっていた ─
それからわずか6日後、東北地方を未曾有の大震災が襲った。
はやぶさを始めとする東北新幹線も運休に追い込まれ、
青森から東京はおろか、仙台までも行き来に不自由する日々が
続いた。
懸命の復旧作業が昼夜を通して行われ、全区間での運行が再開
されたのは4月29日になってからだった。
それでも今なお、徐行区間が残り、正常ダイヤに戻るのは秋頃
とも言われている。再開されたはやぶさの人気は根強いといい、
東北復興のシンボル的存在となりつつある。考えてみれば、車
体についていたはやぶさのロゴマークはやけに尾が長く、フェ
ニックス(不死鳥)のようにも見えてくるから不思議だ。順調に
いけば、来年度末にも最高320キロでの走行が始まる。
そして2015年度に津軽海峡を越える時、そこからはどんな東北・
日本の景色が見えているのだろうか。
※ 東北新幹線は9月23日から震災前の正常ダイヤに戻る予定です
荒れる雪と風の中、友人と共に新青森駅へと向かっていた。
新駅までは青森市の中心部から約3キロほどなのだが、風雪の激
しさの前に、その距離が何倍にも感じられる。3月に入っても津
軽はまだ、冬の真っ只中なのであった。
雪を漕ぐようにしてたどり着いた新駅の通路は思いのほか、
明るい。風の音だけが低く響く構内には、早くも先客の姿が。
もちろん、いつもこんなに夜通し、客がいるわけではない。
私はこれから数時間後…おそらく東北のみならず、日本の鉄道史
に刻まれる特別な朝を待っていた。最新鋭の新幹線E5系はやぶさ
の一番列車「はやぶさ4号」が出発するのだ。
約半世紀にも渡って、進化し続けてきた新幹線の歴史。時速300
キロのスピードと、これまでの新幹線でも最高峰の客席となる
「グランクラス」を兼ね備えたはやぶさは正にその頂点に立つ
存在といえる。
そしてこのはやぶさは、北海道にとっても特別な意味を持つ。
新幹線が青函トンネルを越える4年後、東日本からの乗り入れ車
両として使われることが確実視されているからだ。ついに想像
の世界でしかなかった、北海道を走る新幹線車両の現物に会える
日がきたのだ。
興奮と凍えが一緒になったような身震いを、じっとこらえつつ、 その時を待った。そして早朝4時を周ると、それまで時間が止ま
ったように押し黙ったままだった周囲が、一気に動き出す。
私の後ろの列の長さがまたたく間に10倍くらいに伸びていく。
出発式関連のスタッフ・警備陣が続々と構内入り。マスコミ各社
も大挙して取材に訪れ、私もインタビューされてしまった。
あの寒さはどこへやら。一帯をすさまじい熱気が包み始めていた。
5時半となり、まず、デビュー記念の入場券を購入。そして開け
られた改札を通り、いよいよはやぶさと対面する時がやってきた。
警備陣に囲まれるようにして、エスカレーターを昇ると、そこ
には目の覚めるようなエメラルドグリーンに彩られたはやぶさ
の姿があった。その「鼻」は長く、つややかで、まるで陶芸作
品?とも思えるほど。念願の本物に出会うまでの歳月と、今日
ここまでの雪中行を突破してきた到達感で、「たどり着いた」
という言葉が口をついて出た。
先客やマスコミはグランクラスの周囲を取り囲んでいる。
その輪に加わると、暖かな照明に照らし出された白い豪華座席
が見てとれた。皆でブランド品店のショーケースをのぞいてい
る感覚に近い。
グランクラスは厳戒態勢で入れそうにないので(後日、見学させ
てもらった)、隣りのグリーン車から車内へ。ここも照明が印象
的。がっしりした座席もさすがで、これだけでも十分に思える。
ようやく予約していた普通車へ。こちらもとても落ち着いた室内
だ。新幹線では初めて、すべての座席に可動式の枕がついている。
枕は思いの外、やわらかく、これに身を委ねるだけでも十分な満
足感が得られた。とにかく全体のグレード感がとても高い。
荷物を置いて、どんどん前へと進んでみる。大半の人は外で撮影
でもしているのだろうか。意外なほど、人気がない。
そして先頭車両のドアからのぞくと…正に出発式の真っ最中。
なんと、式典を見渡せる最前部に出てしまった。
まさか、こんな特等席が空いているとは・・・
厳粛な雰囲気の中、目の前で青森県知事・市長といった方々が、
次々に挨拶を繰り広げる。東日本の社長さんの姿も見えた。
ホームの端では報道陣のカメラの放列が敷かれ、世紀の瞬間を
一瞬たりとも逃さない構えだ。
会場のモニターで、吉永小百合さんからの祝辞が放映されると、
会場から「おおっ」というどよめきが挙がり、会場のムードは
最高潮に。続いてテープカット、くす球割りと続く。一方で隣り
の運転席は至って冷静。レバーをチェックするような、「ガガガッ」
という音が時折聞こえてくる。いよいよ発車間近となり、緊張感
もピークに達しようとしていた。
地元代表の一日駅長3人を含む、4人の駅長がその手を夜明けの空
へ向け、すっと上げた。ドアが閉まる。
そして次の瞬間、その姿と歓声が残像に変わった。
はやぶさは夜明けの銀世界へと滑り出した。気がつくと、あの
出来事は夢だったのかと思うほど、落ち着いた時間が流れてい
た。
新青森から盛岡までは260キロしか出さないのだが、静かで揺れ
もほとんど無い。雪の影響も全く気にならない。見事な滑り出し
である。あっという間に八戸へ。ここでも見送りを受け、車販
で記念品を購入したり、友人と話しこむうち、もう下車予定の
盛岡となってしまった。
ここまでわずか53分。はやぶさの登場によって、新青森から東
京へは最速で3時間10分となり、函館からでも5時間29分と、つ
いに5時間半を切るまでに近づいた。今回は300キロの走りは
お預け。もっと遠くまで乗っていたいが、やむをえない。
東北新幹線が最初に開通し、新幹線には慣れているはずの盛岡
でも、今日は大フィーバー。そこら中で踊りや音楽の演奏、特
産品やお菓子の配布などが繰り広げられ、しばし、お祭り気分
を満喫する。中でも駅オリジナルのデビュー記念絵はがきが配
布されたのは嬉しい。ここで下車してよかったと思う。
駅付近で友人と朝食をとり、今度は東京からの一番列車「はや
ぶさ1号」で折り返す。
構内のお祭りはなお続き、今度はお餅とお茶を振舞われた。
ホームもたくさんの見物人でごったがえし、新幹線が接近して
くるのが見えないほど。どうにか、最後尾の1号車に乗り込み、
再び車窓を楽しんでいると、二戸駅を通過したあたりで、突然、
速度が下がり出し、スーッと停まった。後から聞いた話では、
子どもが非常ボタンを押してしまったためとのこと。
しかし、それ以上に、急停車でも揺れがほとんど無かったこと
に驚かされた。はやぶさは誕生早々のトラブルまでも、その凄
みを見せつける機会にしてしまったかのようだ。
気を取り直したように走り出す。雪景色が美しい。やがて北海
道の景色もこの窓から見られる日がやってくるのだろうか。30
分ほどで新青森へ。またまた人、人、人であふれ返る。東京か
らの一番列車を迎えようと、駅構内は盛岡以上に歓迎行事一色
となっていた ─
それからわずか6日後、東北地方を未曾有の大震災が襲った。
はやぶさを始めとする東北新幹線も運休に追い込まれ、
青森から東京はおろか、仙台までも行き来に不自由する日々が
続いた。
懸命の復旧作業が昼夜を通して行われ、全区間での運行が再開
されたのは4月29日になってからだった。
それでも今なお、徐行区間が残り、正常ダイヤに戻るのは秋頃
とも言われている。再開されたはやぶさの人気は根強いといい、
東北復興のシンボル的存在となりつつある。考えてみれば、車
体についていたはやぶさのロゴマークはやけに尾が長く、フェ
ニックス(不死鳥)のようにも見えてくるから不思議だ。順調に
いけば、来年度末にも最高320キロでの走行が始まる。
そして2015年度に津軽海峡を越える時、そこからはどんな東北・
日本の景色が見えているのだろうか。
※ 東北新幹線は9月23日から震災前の正常ダイヤに戻る予定です
タグ:新幹線
2011-08-14 03:01