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新たなる旅立ち 新幹線はやぶさ初日を振り返る

 白い闇の向こうに静まりかえった街・・・3月5日未明、私は吹き          
 荒れる雪と風の中、友人と共に新青森駅へと向かっていた。           ついにはやぶさデビューの時が来た

 新駅までは青森市の中心部から約3キロほどなのだが、風雪の激
 しさの前に、その距離が何倍にも感じられる。3月に入っても津
 軽はまだ、冬の真っ只中なのであった。

 雪を漕ぐようにしてたどり着いた新駅の通路は思いのほか、          未明の新青森駅付近は大雪 津軽はまだ冬の中…
 明るい。風の音だけが低く響く構内には、早くも先客の姿が。
 もちろん、いつもこんなに夜通し、客がいるわけではない。

 私はこれから数時間後…おそらく東北のみならず、日本の鉄道史
 に刻まれる特別な朝を待っていた。最新鋭の新幹線E5系はやぶさ
 の一番列車「はやぶさ4号」が出発するのだ。           出発式で使用される花束が届けられた

 約半世紀にも渡って、進化し続けてきた新幹線の歴史。時速300
 キロのスピードと、これまでの新幹線でも最高峰の客席となる
 「グランクラス」を兼ね備えたはやぶさは正にその頂点に立つ       
 存在といえる。

 そしてこのはやぶさは、北海道にとっても特別な意味を持つ。      記念入場券には長い行列が…
 新幹線が青函トンネルを越える4年後、東日本からの乗り入れ車
 両として使われることが確実視されているからだ。ついに想像
 の世界でしかなかった、北海道を走る新幹線車両の現物に会える
 日がきたのだ。

 興奮と凍えが一緒になったような身震いを、じっとこらえつつ、                             その時を待った。そして早朝4時を周ると、それまで時間が止ま     ついに出会えたE5系はやぶさ 4年後には津軽海峡を越える
 ったように押し黙ったままだった周囲が、一気に動き出す。
 私の後ろの列の長さがまたたく間に10倍くらいに伸びていく。

 出発式関連のスタッフ・警備陣が続々と構内入り。マスコミ各社
 も大挙して取材に訪れ、私もインタビューされてしまった。           
 あの寒さはどこへやら。一帯をすさまじい熱気が包み始めていた。          一番列車はやぶさ4号東京行 グランクラスの「G」マークが輝く

 5時半となり、まず、デビュー記念の入場券を購入。そして開け
 られた改札を通り、いよいよはやぶさと対面する時がやってきた。

 警備陣に囲まれるようにして、エスカレーターを昇ると、そこ
 には目の覚めるようなエメラルドグリーンに彩られたはやぶさ           まるでブランド品店のショーウィンドーを見るよう
 の姿があった。その「鼻」は長く、つややかで、まるで陶芸作
 品?とも思えるほど。念願の本物に出会うまでの歳月と、今日
 ここまでの雪中行を突破してきた到達感で、「たどり着いた」
 という言葉が口をついて出た。

 先客やマスコミはグランクラスの周囲を取り囲んでいる。
 その輪に加わると、暖かな照明に照らし出された白い豪華座席         さすがの豪華座席を備えたグランクラス車内
 が見てとれた。皆でブランド品店のショーケースをのぞいてい
 る感覚に近い。

 グランクラスは厳戒態勢で入れそうにないので(後日、見学させ
 てもらった)、隣りのグリーン車から車内へ。ここも照明が印象
 的。がっしりした座席もさすがで、これだけでも十分に思える。             普通車でも十分なグレード感 すべて可動式まくら付

 ようやく予約していた普通車へ。こちらもとても落ち着いた室内
 だ。新幹線では初めて、すべての座席に可動式の枕がついている。
 枕は思いの外、やわらかく、これに身を委ねるだけでも十分な満
 足感が得られた。とにかく全体のグレード感がとても高い。            

 荷物を置いて、どんどん前へと進んでみる。大半の人は外で撮影         緊張感あふれる出発式の様子
 でもしているのだろうか。意外なほど、人気がない。
 そして先頭車両のドアからのぞくと…正に出発式の真っ最中。
 なんと、式典を見渡せる最前部に出てしまった。
 まさか、こんな特等席が空いているとは・・・

 厳粛な雰囲気の中、目の前で青森県知事・市長といった方々が、        ホームの先には報道陣がズラリ
 次々に挨拶を繰り広げる。東日本の社長さんの姿も見えた。
 ホームの端では報道陣のカメラの放列が敷かれ、世紀の瞬間を
 一瞬たりとも逃さない構えだ。

 会場のモニターで、吉永小百合さんからの祝辞が放映されると、
 会場から「おおっ」というどよめきが挙がり、会場のムードは           ついにくす玉が開いた いよいよ出発へ
 最高潮に。続いてテープカット、くす球割りと続く。一方で隣り
 の運転席は至って冷静。レバーをチェックするような、「ガガガッ」
 という音が時折聞こえてくる。いよいよ発車間近となり、緊張感
 もピークに達しようとしていた。

 地元代表の一日駅長3人を含む、4人の駅長がその手を夜明けの空
 へ向け、すっと上げた。ドアが閉まる。                     「4人の駅長」が夜明けの空へ向け、その手を上げた

 そして次の瞬間、その姿と歓声が残像に変わった。

 はやぶさは夜明けの銀世界へと滑り出した。気がつくと、あの
 出来事は夢だったのかと思うほど、落ち着いた時間が流れてい
 た。                             次の瞬間、姿と歓声は残像に

 新青森から盛岡までは260キロしか出さないのだが、静かで揺れ
 もほとんど無い。雪の影響も全く気にならない。見事な滑り出し
 である。あっという間に八戸へ。ここでも見送りを受け、車販
 で記念品を購入したり、友人と話しこむうち、もう下車予定の
 盛岡となってしまった。                 夜明けの銀世界から、はやぶさの旅は始まった

 ここまでわずか53分。はやぶさの登場によって、新青森から東
 京へは最速で3時間10分となり、函館からでも5時間29分と、つ
 いに5時間半を切るまでに近づいた。今回は300キロの走りは
 お預け。もっと遠くまで乗っていたいが、やむをえない。

 東北新幹線が最初に開通し、新幹線には慣れているはずの盛岡        早くも盛岡へ 笑顔で出発を見送る
 でも、今日は大フィーバー。そこら中で踊りや音楽の演奏、特
 産品やお菓子の配布などが繰り広げられ、しばし、お祭り気分
 を満喫する。中でも駅オリジナルのデビュー記念絵はがきが配
 布されたのは嬉しい。ここで下車してよかったと思う。

 駅付近で友人と朝食をとり、今度は東京からの一番列車「はや        盛岡駅はお祭り騒ぎ お餅も振舞われる
 ぶさ1号」で折り返す。

 構内のお祭りはなお続き、今度はお餅とお茶を振舞われた。
 ホームもたくさんの見物人でごったがえし、新幹線が接近して
 くるのが見えないほど。どうにか、最後尾の1号車に乗り込み、
 再び車窓を楽しんでいると、二戸駅を通過したあたりで、突然、       トンネルも多いが、時にはこんな美しい車窓も
 速度が下がり出し、スーッと停まった。後から聞いた話では、
 子どもが非常ボタンを押してしまったためとのこと。
 
 しかし、それ以上に、急停車でも揺れがほとんど無かったこと
 に驚かされた。はやぶさは誕生早々のトラブルまでも、その凄
 みを見せつける機会にしてしまったかのようだ。             新青森に到着 マスコミの取材はまだ続く

 気を取り直したように走り出す。雪景色が美しい。やがて北海
 道の景色もこの窓から見られる日がやってくるのだろうか。30
 分ほどで新青森へ。またまた人、人、人であふれ返る。東京か
 らの一番列車を迎えようと、駅構内は盛岡以上に歓迎行事一色
 となっていた ─                 津軽三味線の演奏でお出迎え

 それからわずか6日後、東北地方を未曾有の大震災が襲った。
 はやぶさを始めとする東北新幹線も運休に追い込まれ、
 青森から東京はおろか、仙台までも行き来に不自由する日々が
 続いた。

 懸命の復旧作業が昼夜を通して行われ、全区間での運行が再開         尾の長いはやぶさのロゴマーク 東北のフェニックスとなれるか
 されたのは4月29日になってからだった。

 それでも今なお、徐行区間が残り、正常ダイヤに戻るのは秋頃
 とも言われている。再開されたはやぶさの人気は根強いといい、
 東北復興のシンボル的存在となりつつある。考えてみれば、車
 体についていたはやぶさのロゴマークはやけに尾が長く、フェ
 ニックス(不死鳥)のようにも見えてくるから不思議だ。順調に         4年後、はやぶさはこの場所から北海道へと旅立つ
 いけば、来年度末にも最高320キロでの走行が始まる。

 そして2015年度に津軽海峡を越える時、そこからはどんな東北・
 日本の景色が見えているのだろうか。


 ※ 東北新幹線は9月23日から震災前の正常ダイヤに戻る予定です
タグ:新幹線

津軽海峡から南国へ さらばキハ183-1号機

  つい、30年程前まで、現役でSLが使われていた北海道の鉄道。       イベント列車で活躍する晩年のキハ183-1号機
 しかし、その後の近代化の進展はめざましく、全国有数の快足
 を誇る新型特急が各地へ走り、一時は実現不可能ともいわれた        
 青函トンネルも完成。悲願の新幹線の導入も目前に迫ってきた。

  中でも、その近代化を大きく加速させたのはキハ183系特急
 車両だろう。形式記号だけではわからないという人も、おおぞら                            ・北斗・北海・オホーツクなどの名を挙げれば、道内で知らない         有川貨物駅に到着した1号機
 人はいないほど親しまれた名車両である。オホーツクなどでは
 今なお、現役だ。

  風の日も、雪の日も、全道をひたむきに走り続けてきたキハ      
 183。しかし、そんな彼らにも世代交代の波が押し寄せてきた。        
 そしてこの秋、思わぬ話が舞い込んだ。                     1号機の横顔には懐かしのJNRロゴが


     「183の1号機が函館からミャンマーに渡る」


  最初聞いた時は冗談かと私は思った。しかし、それが真実だ        着駅 五稜郭駅(有川) と表記された行先票
 と判明するのに時間はかからなかった。更に驚かされたのはこ
 の行先である。

          「着駅 五稜郭(有川)」

  この意味を知る人も最近では、だいぶ、少なくなってしまっ         多数の作業員によって作業が進められた
 たが、北海道の鉄道にとっては、本当に懐かしい響きを持つ場所
 である。有川とはかつて、函館駅とは別に、連絡船の貨物専用便
 が発着していた桟橋、いわば「もう一つの北海道の玄関口」だっ
 た場所のことなのだ。

  五稜郭駅から約2キロ程離れており、構内の一部はJR貨物の五稜        正に大空に舞い上がった1号機
 郭駅として使われ、当時からの貨物支線を介して、現在も函館地方
 向けの貨車だけが一日3、4本乗り入れている。その有川まで183は
 行くというのだ。ただならぬ気配を感じた私は現地へ向かった。

  11月も半ば、函館港から凍て付く潮風が吹き付ける有川貨物駅
 の傍らに彼らの姿はあった。今回、やってきたのは、つい1年程前         函館山を仰ぎ見る
 まで函館で臨時列車を中心に活躍していた車両たちである。営業
 休止後、釧路の車両基地で保管されていた。

  その中にはベージュと赤帯の、あの国鉄の懐かしい塗色そのまま
 のものもある。それがキハ183系の最初に製造された1号機で、その
 横顔には往年のJNRの文字がどこか誇らしげに輝いている。          北海道の鉄道に別れを告げる

  線路にいる10人程の作業員が車体の下にまで入り込んで、作業を
 次々と進めていく。何のための物かよくわからないが、ボルトが抜
 かれたり、細かい部品のようなものが取り出された。作業は昼の休
 憩を挟んで、数時間にも渡って続けられた。

  そして、強く吹き続けていた風が一瞬、止んだその次の瞬間、と         トレーラーへと降ろされる 後ろには「函」の字がしっかりと
 てつもないことが起こった。1号機の車体がふわりと浮き、鉛色の空
 へと舞い上がったのだ。台車だけが外れているが、後は微動だにも
 せず、まるで空を走り出すかのよう。あまりの光景に言葉も出ない。

  大型クレーンによって、長らく住み慣れた北海道の、日本の鉄道
 に別れを告げ、遠くに函館山や連絡船摩周丸を仰ぎ見るかのように、       函館港を行く 彼方には連絡船摩周丸の姿も
 ひらりと右に一回転して、トレーラーへと降ろされた。

  トレーラーに載せられ、目の前を去って行く1号機の後ろ姿を見送
 るうちに、自分の子どもの頃の時間がだんだん遠くへ行ってしまう
 ような寂しさを覚えた。

  思えば今から約30年前、連絡船に載せられ、函館駅の桟橋から北         1号機と共に旅立つ仲間たち
 海道第一歩の土を踏んだ1号機。それが、くしくも新幹線が青森まで
 達するわずか半月前に、今度はかつての連絡船第二桟橋の跡地から、
 旅立って行くことになろうとは、なんという歴史のいたずらであろう
 か。

  その後、1号機は共にミャンマーへ向かう12両の仲間たちと共に、       2号機と並ぶ まるで国鉄特急全盛期のよう
 数日間、埠頭に留置された。埠頭では鉄道ファンはもちろん、一般
 の釣り人も興味深げに見物する様子も見られた。

  そして、冬の嵐も迫る中、迎えの貨物船に載せられ函館を出港、
 遥か南国の地へと旅立った。もう、彼らに会えることは本当に無い
 のだろうか。しきりに政情不安が伝えられる地域であるが、末長い          迎えの貨物船へと積み込まれる
 活躍と、現地の人々に愛されることを願いたい。

  最後に見た1号機の後ろ姿には、長らく函館に所属していたことを
 示す「函」の字がしっかりと色あせることもなく、刻まれたままで
 あった。                                                                                                                              
タグ:函館 鉄道

並行在来線問題で函館市が踏まえるべきこと

  北海道新幹線の工事がこのところ、加速している。
  これまでの車両基地や、海峡線の在来線区間に新幹線用
  のレールを1本追加する3線軌化工事に加えて、この7月6日
  には函館周辺では初めてとなる、高架橋工事が着工された。

  正に新幹線という存在が現実のものとして、私たちの目の        函館-新函館間の経営分離反対を訴える署名案内
  前にその姿を現そうとしている。
  しかし、それを迎える地元函館の状況はここに来て、大き
  く揺れている。発端は去る3月に、JR北海道が函館開業に
  続いて新幹線が札幌まで延伸された場合、函館線の函館-
  小樽間を経営分離すると表明したからだ。

  それは開業時、新幹線に代替されることになるであろう、
  特急北斗の走行路線のみならず、新幹線新函館(渡島大野)
  駅から現函館駅までを結ぶアクセス列車までJR経営の手を
  離れ、経営の見通しが立たなければ最悪の場合、函館市内         現在の函館駅 果たして札幌開業後の運命は…
  から鉄道路線そのものが消滅しかねないことを意味してい
  た。

  これではいくら新幹線で所要時間が短縮されても、函館市
  内まで利用客を安定的に連れてくることすら困難となる。
  この事態に函館市の各方面から激しい反発の声が挙がった。

  函館市長は経営分離が見直されなければ、新幹線の着工条
  件となっている沿線自治体の同意はしないことを表明。市
  議会は全会一致で経営分離への反対を決議した。地元経済
  界もこれに歩調を合わせたことで、市としての姿勢はこれ
  までにない強固なものとなっている。今月中旬からは10万
  人以上を目標に、市内全域での署名活動も行われる。

  これに対し、現時点でJRは改めて経営分離の意向を表明。
  道庁の対応もはっきりしておらず、今後の推移は予断を許
  さない。

  自身は札幌への新幹線延伸に基本的には賛成である。その
  理由は、よく言われるCO2減や冬季間運行の安定性などに
  加えて、航空燃料に使われる石油資源の枯渇懸念が大きな
  要因である。

  バイオ燃料などの開発も行われてはいるが、将来的に石油
  に代わって現在の航空需要に対応でき、現行の価格水準も
  維持できるだけの、代替エネルギーが誕生する見通しが、
  どこにも無いからだ。現状のままでは北海道は今の社会シ
  ステムを持続するのが次第に困難となっていくだろう。

  そうであるなら、長距離輸送だけでなく、近郊輸送も同様
  に現行のクルマ依存から脱した省エネルギー化が必要とな
  るはずで、在来鉄道の存在が軽視されてよいはずはない。
  函館市の姿勢はこうした観点からも評価できるものなのだ
  が、これから行動していくにあたっては、大切な視点が不
  足しているようにも感じられる。

  中でも不満なのは、経営分離に反対する区間が函館-新函館
  間だけだという点だ。札幌より先に新函館開業時に分離さ
  れる、江差線の五稜郭-木古内間や、残る小樽までの路線の
  問題は取り残された形となっている。これでは道民全体か
  ら見て、地元の利益だけを重視していると誤解される可能
  性もあるだろう。

  中でも木古内-長万部間は札幌への貨物輸送の動脈であり、
  経営が不安定になるだけでなく、駒ケ岳の火山災害などの
  対策・復旧費用すら満足に確保できない事態も懸念される。
  もちろん通勤・通学輸送や観光輸送も重要だ。

  そもそも現状の鉄道財源は、道路のそれと比べて、ケタが
  二つ違うと言われるほど大幅に少なく、とりわけ地方の鉄
  道ではインフラ・車両の老朽化など、並行在来線以外の地
  域でも多くの課題を抱えている。

  本来、函館市はこの機会を捉えて、こうした広い意味での
  地方鉄道・交通全体を維持していくための枠組みの構築や、
  財源の確立を、国・道や世論に問うていくべきではないだ
  ろうか。そうすることで、より多くの地域・市民から賛同
  が得られるに違いない。

  函館市はもともと、市電の運営を通じて、安定した公共交
  通確保や環境型交通の重要性を、道内のどこよりも理解し
  ているはずである。この経験がこうした問題を解決に導く
  大きな力となるよう願っている。


  ※ 写真は順次、追加予定です
  

函館を駆け抜けて半世紀 市電旧型車両終着の日

  春は出会いと別れの季節。今年の函館市電もその例外では     お別れイベントを予告する車内の中吊り
  なく、LRVらっくる2号機の誕生によって、実に半世紀以上
  にも渡る活躍を続けてきた旧型車2両が引退することになっ
  た。

  これまでであれば、こうした旧型車両はいつの間にかひっ
  そりと引退してしまうのが普通だったが、LRV導入など近年、     引退直前、函館駅前では両車輌の共演も見られた
  積極姿勢に転じた函館市電の変化はここにも及んだ。
  今回は約1ヶ月も前から引退予告の装飾がなされ、市民参加
  の「お別れ会」とさよなら運行が実施されることになったの
  だ。

  今回引退となるのは711号と1006号。このうち711号は当時の      旧国鉄が用意した車体を用いる711号    
  国鉄五稜郭工場によって更新された箱型の車体を持つ、「北
  海道の国電」?とでも言えそうな存在で、昨年は映画「わた
  し出すわ」号としても活躍した
  (詳しくはブログ10月29日付記事参照)。

  もう一つの1006号は誕生後、東京都電として高度成長華やか     引退間近でも輝きを失わない1006号
  なりし東京の街を約15年間走り続けた後、遥か北の地函館へ
  と渡り、21世紀の今日まで活躍してきた旧都電車両最後の生
  き残り。番号読みでファンからは「センロク」と呼ばれ、昨
  夏からは都電当時の懐かしの塗装をまとい、絶大な人気を誇       
  っていた。
                                     車体横にも引退予告の広告板が
  長い冬も押し迫った3月28日、お別れ会が開催された駒場車
  庫には両車両との別れを惜しむ、たくさんのファンや市民の
  姿があった。

  誰もが過ぎ行く刻を一秒たりとも無駄にはしまいと、両車両
  を見て、触れて、いたわり、何かを感じ取ろうとする熱気で      お別れ会には多数のファンが詰め掛けた
  あふれている。

  それは長年、函館の欠かせない生活風景の一部としてあり続
  けた両車両への感謝の気持ちの表れであり、多くの市民にと
  って心の主役的存在であったことを物語る光景であった。                  

  車内はもちろんのこと、展示中は運転台も自由に開放され、         今は無き環状線の文字が残る711号の行先表示
  人波が絶えなかった。また、両車両とも2回ずつ記念運行の時
  間が 設定され、会場で記念グッズを購入した参加者に限って、
  無料で試乗することができた。もちろんグッズ販売も大盛況
  である。

  終了間際に友人が許可を得て、711号の行先表示を動かすと、
  そこには「環状線」の文字が。今、北陸の富山市で環状新路
  線が話題を集めているが、かつては函館にも存在していたの       「普段着の」最終電車内
  だ。果たしてLRVとなって環状線が帰ってくる日は来るのだ
  ろうか。

  そして3月31日。彼らが歩み続けてきた長い旅路に、終止符が
  打たれる日がとうとうやってきた。雲の間からどうにか差す
  朝陽の中、まず711号が出発。女性の運転士さんが大役を務め、
  乗り込むと記念証が一人一人に手渡されて、いつものように      最後の折り返しを前にした711号
  坦々と走り始めた。

  車内は騒々しいわけでも、寂しげなわけでもなく、とにかく
  静か。2、3人立客がいる程度で、普段の様子と驚くほど変わら
  ない。言われなければ、さよなら運行だとわからないほどで
  ある。

  JRのさよなら運行のような、熱狂と混乱などとは無縁のまま、
  711号は函館どっく前で折り返し、ラストコースへ。本当にこ    配布された両車両のさよなら乗車証明書
  れでもう会えないのかと、信じられない気分になる。とにかく
  走りに元気があり、車内もきれいなのだ。「生涯現役」の言葉
  どおりに、場車庫着。名残を惜しむ間もなく、リレーするよう
  に、今度は「センロク」の最終運行が始まる。

  今度はファンの数が車内外ともに増えた。都電の生き残りとあ         みんなが大きくなった時、この電車のことをどう思い出すのだろう
  って、本州方面からの遠征組も。それでも大混雑には至らない。
  またも記念証が配られ、一人一人手にする。

  さすがに711号に比べて車体の傷みは隠せない。それでもこの穏
  やかな車内の雰囲気が人気の秘密なのだろう。いったいこの空間
  をこれまで、どれほどの人たちが共有したのだろうか。 幾千・・・      半世紀以上もの歴史を刻んできた車内
  幾億・・・? 途方も無く長い 時間と思いが、この中には詰ま
  っている。最後のひと時をくつろぎ、時には目を閉じながら過
  ごす。

  折り返し点の谷地頭へ。函館山の麓に広がる急坂にもこれで別れ
  を告げる。魂があるかのような「ブォーン」という音を上げて、        かつての活躍を伝える写真の上には今も都電の表記が
  登りきった。

  二度と来ることのない道を一歩、一歩踏みしめるように走り、つ
  いに駒場車庫へ。するとセンロクと運転士さんの前に初老の男性
  が歩み寄った。手には花束。この方は約40年前、センロクの導入
  によって引退した、300型車両の最終電車を運転された方で
  あった。               大勢の市民に囲まれて最後の折り返し

  言葉はいらない。道を究めた男同士の固い握手が、目の前でしっ
  かりと交わされた。居合わせたファンや市民から自然と暖かい拍
  手が沸き起こった。

  今後、711号は同型車両の部品供給役となり、1006号は譲渡先を
  捜すことになっている。2両は引退してしまったが、函館には半
  世紀を越えた電車がまだまだ走っている。         道を究めた男同士が万感の思いを胸に手を握る

  皆様もぜひ一度、その歴史に触れてみていただきたい。

  
  

※補足  駒場車庫では711号到着時にも花束贈呈が行われました。筆者は撮影できませんでしたが、「函館鉄道写真館」の管理人を務める友人が撮影した画像がありますので、ご覧ください。当ブログにリンクもしていただいています。
  
函館鉄道写真館 (ページ内の検索で711号と入力)
http://blogs.yahoo.co.jp/x103nanodayo/folder/52169.html

タグ:函館 市電

LRVらっくる2号機始動 !! 函館市電が熱く燃えた1ヶ月

  3月1日に無事、駒場車庫に到着したLRVらっくるの増備       LRV2号機の運行開始を伝える中吊り
  車両9602号。その後、順調に整備・調整が続けられ、
  夜間中心の試運転を経て、ついに3月24日の運転開始が
  決定した。

  1日の搬入の際も撮影会という異例の形で公開が行われた
  が、運行開始に際しても更にいくつものイベントが組ま
  れた。これにより2号機と入れ替わりに引退する旧型車両         会議室に設営された昼食会場
  関連のものと併せ、約1ヶ月にも渡って次々に関連日程が
  組まれる形となり、連日のようにマスコミにも登場。日に
  日に車内も沿線も熱気に包まれ、残りわずかの冬も追い
  出してしまうかのごとく、熱く燃え続けた1ヶ月となった。

  まず、3月21日には市民向けのお披露目会が駒場車庫にて       出発を前に車庫内にたたずむ2号機
  開かれた。車庫内に留置された2号機を車内を含めて自由
  に見学することができ、悪天候にも関わらず、多くの家族
  連れらで賑わいをみせた。

  続いて、22日に行われた事前申し込みによる記念運行には、
  道内外から合わせて21人が参加した。             段差の無い車内は床までピカピカ 

  搬入の際と同じく昼食付のツアー仕立てとなり、駒場車庫
  に集合した参加者たちはまず、交通局の会議室 (!!) へと
  通され、前回大好評を博したハイカラ号弁当の昼食をとり
  ながら、1日の搬入作業の模様を映像で振り返った。

  昼食後、いよいよ2号機に乗車。1日の搬入時の姿とうって
  変わって、まぶしいほどの純白と澄み切った青帯のコント
  ラストの美しい姿は息を呑むほど。車内も床までピカピカ        運転席まで港町をイメージした柄に
  だ。

  谷地頭までの往復約1時間30分の間、参加者たちは新型車
  両を正に独占できる形に。通常は降車口を塞いでしまう
  ような運転席の間近からの観察や、係員立ち会いで車内の
  様々な設備・備品に触れることも可能であった。中でも喜
  んだのは子どもたちで、本物の電車、それも最新車両に触
  れて遊べるのだから嬉しい。                本来は料金を表示するモニターにはこんな画像も…

  貸切なのでおなじみの車内放送も無く、真新しい車内に静
  かでゆったりとした時間が流れていく。参加者同士も思わ
  ず意気投合。連絡先を交換し合うといった、ほほえましい
  場面も見られた。

  参加者たちには、前述の搬入作業の映像を収めたDVDや、      待ちに待った初運行の時が迫る
  24日の初運行時刻が記された運行指示票のレプリカ、参
  加者一人一人の名前入りの定期券型キーホルダーなどの
  充実した景品がお土産として用意され、大好評のうちに、
  特別(先行)運行を終えた。

  そして24日、ついに運行開始。朝から素晴らしい青空が広        車体を朝陽に輝かせ一番列車がいよいよ出発
  がる下、待ちかねたファンや報道陣らの前に、その身を朝
  陽に輝かせた2号機がいよいよ登場。先着200名には2号機
  をPRする? 函館市電の女性運転士をモチーフにしたキャラ
  クター「松風かれん」と2号機が描かれた乗車証明書がプレ
  ゼントされた。

  駒場車庫出発時は混雑はさほどでもなかったが、湯の川温         2号機初運行の乗車証明書(右) 左は3年前の1号機のもの
  泉を過ぎた頃から、新型車両を一目見ようという市民や観  
  光客が殺到し、たちまち車内は首都圏のラッシュ時を思わ
  せる大混雑に。私も周囲と協力して高齢者に席を案内した
  り、降車客を車両の前へ誘導するなどの対応にあたった。

  大盛況のうちに遅れは増し、やがて15分ほどの遅れに。気       出発直後の車内は落ち着いていたが…
  づくと、後ろに3両もの後続車両が隊列を組んでついてき
  ている。同乗していた友人がこの様子を「連合艦隊」と称
  したのはなかなか言い当て妙で、思わず感心。ただ、各電
  停で待たされた乗客はやきもきされたに違いない。

  興奮冷めやらぬまま、湯の川へと帰着。どこかホッとした
  様子で車庫へと回送される2号機の背中を見送った。しかし、
  ここで最後にして、最大の見せ場が用意されていた。        まるで首都圏のラッシュを思わせる混雑に

  2号機の傍らに先輩1号機が接近。東日本では初めてのLRV
  同士の競演が目の前で繰り広げられた。ボリューム感あふ
  れる未来型車両が行き交う様は、まるで遥か遠い外国の街
  のよう。これから、この夢風景が新しい故郷の風景となっ
  ていく。            2号機の後を隊列を組んで走る「連合艦隊」

  こうして無事、2号機を迎えた函館市電は新たな時代へと 
  一歩を踏み出した。だが、ドラマはこれだけでは終わら
  ない。
  
  代わって引退する旧型車両たちの最後も刻一刻と近づいて        ついに北海道で実現したLRV同士の共演
  いた。
タグ:函館 市電

全面公開 !! LRVらっくる2号機搬入を生で見た

  道内でも、つい最近まで「懐かしいもの」の代名詞であった      関東以北初のLRVらっくる号誕生から早くも3年の月日が…
  路面電車。そのイメージを大きく変えた函館市電へのLRV
  らっくる号(9600形)導入から早くも3年の月日が流れた。
  それでも、まだ1本では毎回利用できるレベルには到底及ば
  ない。私の周囲にもまだ、利用したことの無い市民を見かける。

  そこでこの春、ついに待望の2本目が登場することになった。       到着した2号機に次々と機器を取り付ける
  しかも今回はただ増備するだけでなく、その機会をとらえた
  様々なイベントも設定され、市民のみならず、全国にその存在
  をアピールすることになった。

  中でも特筆されるのは、事前に公募された参加者が新車両が
  本州のメーカーから到着し、車庫内へ運び込むまでの作業の   幾重にも包装された2号機の顔は白く雪化粧…
  一部始終を間近で見学することができるという、「搬入作業
  撮影会」の実施であった(参加費3,000円 昼食代込)。これは
  全国的にも例を見ない試みである。

  3月1日朝7時半。まだ厳しい寒気が残る中、駒場車庫へと急いだ。
  まず、受付では安全確保のため、各自に白いヘルメットが配ら
  れて緊張感が高まる。しっかりと着用して構内の奥へと進むと、     トレーラーから転車装置へとつなげられた道筋
  朝日の中に照らし出された巨大なトレーラーと、その背中に
  載せられたLRVらっくる2号機の姿が浮かび上がった。

  前日のチリ地震津波の影響で到着が遅れ、つい1時間程前に
  着いたばかりだったそうで、早速、搬入へ向けた作業が始ま
  った。                              いよいよトレーラーから一歩を踏み出す

  まず、本体と別に運ばれてきた電車の部品などを車体の屋根
  に取り付ける。巨大なクレーンでパンタグラフやクーラーなど、
  次から次へとありえない物が宙を舞い、それを車体の屋根に
  登った作業員の方々が手際良く取り付けた。

  約1時間程で終了すると、私たちは少し離れた場所にいたカラ
  オケ電車「アミューズメントトラム」へと案内された。今回、         仮設レールをゆっくりと、しかし確実に、「歩む」2号機
  これが休憩所や昼食会場代わりを務めるという。

  朝から身を切るような寒気の中にいたので、暖をとれる場所
  は本当にありがたい。それがめったに会えない貸切車両なの
  だからなおさらだ。交通局からは暖かい缶コーヒーの差し入れ
  まであり、自然と参加者同士で会話も弾んでくる。

  外では2号機を車庫へと運び入れる準備が続いていた。まず、
  構内で電車の向きを反対にする転車装置を作動させ、そこに       ついに転車装置の上へ 函館への第一歩が記された
  鉄骨で組まれたやぐらのような仮設レールをつなげていく。

  これに先程のトレーラーを接続させることで、2号機をレール
  づたいに滑り降ろすのだという。まるでNゲージの鉄道模型を
  地でいくかのようだ。

  トレーラーがこちらまで移動してきて、作業が始まる。初めて
  全景を見てとれた2号機の顔は、前夜の雪で真っ白に雪化粧して
  いた。車体全体が様々なビニールやテープで幾重にも「包装」      「大先輩」に手を牽かれるようにして車庫内へ
  されている。作業員の方々は接続するレールと少しのズレも
  生じさせないよう、何度も何度もトレーラー位置の微調整を
  繰り返し、最後は地を這うようにしてまで、確認を終えた。

  正にプロの仕事現場を垣間見る思いであった。

  接続が完了すると2号機からワイヤを延ばし、別のトラックで
  それをけん引。いつしか関係者も参加者も思いを一つに固唾       車庫内の作業台へと案内される参加者たち
  を飲んで見守る中、実にゆっくりと、しかし確実に、2号機が
  仮設レール、転車装置へと進んで、いや「歩んで」いった。

  ようやく転車装置の上に収まると、参加者からも拍手や歓声
  が挙がる。実に作業開始から約3時間。ついに函館への第一歩
  が記された瞬間だった。

  レールの上に載せられた2号機は大先輩の旧型電車に手を牽か        作業台からの2号機の屋根上 真新しい機器が輝く
  れるようにして、車庫内へ。搬入作業自体はこれでほぼ終了
  だが、イベント自体はまだ続く。今度は参加者が順番に作業
  台へと案内され、到着したばかりの2号機の屋根上を間近で
  見学することができる。

  作業台に上ると、今朝取り付けられたばかりのパンタグラフや
  制御機器が人知れず、静かな輝きを放っていた。

  終了後、参加者を乗せたアミューズ号は昼食会を兼ねた遊覧         1号機導入の際の秘蔵映像も必見!!
  運行?へと繰り出す。車内では今年末に予定されているレトロ
  電車「箱館ハイカラ号」の100周年を記念した特製弁当が振舞
  われた。

  明治時代の函館の名物を再現したという、かなり凝った内容で、
  ボリューム感も満点。谷地頭までの往復1時間半の間、参加者
  たちは舌鼓を打った。

  車内のモニターでは3年前の1号機が導入された際に撮影された
  交通局秘蔵の資料映像も流され、 こちらも必見。

  中でも夜間に初試運転が行われた際、各所で行われた建築限界       貸切電車内にて振舞われた特製「箱館ハイカラ号弁当」
  の測定作業(JRでいうオイラン車検測)の模様には、私も驚かさ
  れた。同乗された交通局の方の説明によると、終電直後から
  明け方までかけて入念に行われたそうだ。LRV誕生の影で人知
  れぬ苦労の連続があったことが、今さらながらにしみじみと
  感じられた。

  ともかく今回は充実の内容で、大満足のイベントであった。
  緊張する現場を公開していただいた交通局や、運送会社、
  車輌メーカーの皆様にはこの場をお借りして、厚く御礼を申し          ハイカラ号弁当は味もボリュームも満点
  上げる。

  2号機はその後、順調に調整・試運転が行われ、3月24日(水)
  から運行を開始した。次回は運行開始の模様と、代わって引退
  する旧型電車についてご紹介したいと思う。

スクープ !! 函館駅に謎の芸術家が出没?

  昨年末、あらゆる分野からその年の最も優れたデザイン
  に贈られるグッドデザイン大賞に、我らが函館線の岩見
  沢駅新駅舎が選ばれたのは記憶に新しい。レンガや古レール
  などを巧みに活かしたデザインは、何かと効率が優先され        函館駅ホームの水飲み場をよく見てみると…
  がちな現代の駅のあり方に一石を投じるものとなった。

  しかし、駅で人の目を楽しませるものは何も大規模なデザイン
  に限らない。これから紹介するような粋な仕掛けが駅の随所
  に存在したら、きっとその駅や街の印象はぐっと楽しいもの
  になるのではないだろうか。                       函館港とカモメを描いた見事な絵画が

  函館の表玄関であるJR函館駅では最近、構内の各所に人知
  れず小粋な絵画や模型が設置されるようになり、日に日に
  その数が増えつつある。

  初めに私が発見したのは昨年秋の終わり頃のこと。今では
  珍しくなったホームの水飲み場であった。冬季間は凍結して         別のホームにはドックを大きく描いた作品が
  しまうため使用停止となり、ふさぎ板が張られてしまうの
  だが、今年はその板に突然、美しい絵画が描かれたのである。

  青函連絡船摩周丸と函館港の風景を描いており、中央には
  優雅に舞う二羽の大きなカモメが、そのカモメを境に函館
  港側は鮮やかなカラー、摩周丸側は味わい深いセピア調に
  彩られたその作品は、単なるふさぎ板というには余りに驚          SL運行をPRしたものも
  かされる気合の入った出来栄えであった。

  更に変化は他のホームにも及んでいた。やはりそのふさぎ
  板に別の絵画が描かれているのを発見。テーマこそ同じで
  あったが、こちらは今は無き、函館ドックのゴライアスクレーン
  が大きく描かれ、その中央にはやはりカモメが大きく翼を       絵の中から飛び出したSL
  広げていた。

  また、別のホームの作品には春夏に函館-森間を走るSL函館
  大沼号を描いたものも。こちらはいたってシンプルだが、
  中央のSLの部分が模型になっていて、今にも絵の中から
  飛び出さんばかりの迫力だ。

  更にその裏面は金色に輝く扇の中に、函館駅舎や函館市電        函館市電の部分低床車も登場する扇
  の部分低床車8101号が描かれた作品となっていた。とにかく
  一つ一つに手がかかっており、美術展といってもいいほど
  の作品群なのである。

  これらの作品が設置されたのはJRの方針なのか、それとも
  個人か団体からボランティアか何かで提供の意志でもあった
  のか、とても気になるところだが、その場ではこれ以上の          駅改札口にも異変が
  手がかりを得ることはできなかった。

  そんな中、函館も冬本番を迎え、例年にない寒波と大雪に
  見舞われた。ようやく一息ついたある日、再び駅を訪れると、
  作品の一部は雪に埋もれ、色も滲んでしまっているでは
  ないか。せっかく上手に描かれたのに、これでおしまい          
  なのかと思っていたら、事態は思わぬ方向へと展開した。          電光表示板の上に鎮座するカモメ

  改札口にある発車案内表示の上をよく見ると、いるはずの
  無いものが…カモメ? カモメだ !!

  なんと今度は本物そっくりのカモメの模型が出現。

  あたかも駅の中を飛び交っ ているかのようなリアルさで          針金で宙を舞うものも
  ある。おまけに改札の詰所の上にヒナ?までいる芸の細かさ
  に脱帽。この作者はよほど、港やカモメに思い入れがある
  のだろうか。

  もしかして、連絡船か何かの関係者かと思い、後日、摩周丸
  にいる知人に尋ねてみたが、心当たりはないとのこと。この
  謎の芸術家?の素性や目的は今もって謎に包まれたままである。    詰所の上からはヒナ?が行き交う旅人を見守る   
  今後の展開にも注目したい。皆様も函館駅まで来られたら、
  ぜひ周囲もほんの少し、気にかけてみてほしい。旅の思い出
  が1ページ増えるような思わぬ発見があるかもしれない。

タグ:JR 函館駅

無料電車がいざなう心温まる初詣

  皆様はどのような新年を迎えられただろうか。

  新年最初の新聞の一面に躍った「札幌市電延伸へ」の見出し
  には驚かされた。果たして今年は環境型交通への変革が本格
  化する年になるのだろうか。

  函館でも水面下で延伸計画が検討されているのだが、その話
  はまたの機会として、今回はその新聞から数時間前の元日未
  明の話である。

  札幌周辺では例年、大晦日から元日にかけて北海道神宮向け
  のJR深夜電車やバスが運行されているが、函館では数年前か     車内に掲示された初詣電車の案内
  ら初詣向けの市電の深夜運行が行われている。

  湯の川や谷地頭など、函館市電の終点は温泉が近いことで知
  られているが、実は神社も各終点の目の前にあり、もともと
  初詣には利便がよい位置にある。

  大晦日の深夜から元日未明にかけ、全線に渡って4~6往復前
  後運行され、これら沿線の神社へ向かう初詣客はもちろん、
  友人宅訪問など、初詣以外の目的でも自由に利用できる。

  驚くべきことに料金はすべて無料で、あらかじめ運行に協賛
  する企業を募り、その広告料で運行経費を賄うという全国で      協賛広告の例 「市電の運行を応援します」の文字も
  も珍しい方式だ。12月初めから一部電車の窓や、車内を中心
  に配布される初詣電車用の時刻表に協賛企業の広告が出され
  ている。これは全国各地で参考にしてもらいたいものだ。

  過ぎ行く2009年という、わずかな時間を惜しむかのように降
  りしきる雪の中、函館駅前から私も初詣電車に乗った。

  あいにくの天気のせいか、乗客はやや少なめ。それでも車内
  は無事、新しい年を迎えられる安堵感からなのか、落ち着い     年が明けると片方はこのような表示に
  た雰囲気だ。

  十字街で一旦下車すると~ゴーン~ と、
         
                どこからか除夜の鐘の音が。

  そしてどこからか ~チンチンジャンジャン~ とリズミカル
  な音色も混ざる。これはハリストス正教会の鐘の音である。
  早くから西洋文化が入った函館西部地区は除夜の鐘まで和洋
  折衷で賑やかだ。これは「一聴の価値」がある。

  どっく前行に乗り換えると、暴風雪の中、電車は静まりかえ          電車は静まり返った雪の街を行く
  った雪の街を黙々と走る。終点で下車すると、目の前には知
  る人ぞ知る初詣スポット、厳島神社があった。

  本当に地元の人だけが訪れるような小さな神社。参拝するの
  に待ち時間も一切かからない。それでいて寂れているわけで
  もなく、どこか温かい。

  しかも境内ではあずき湯や、七福神が描かれた特製福入袋も      知られざる初詣スポット厳島神社 どっく前電停すぐそば
  配布されている。今年は激しい風雪で中止となってしまった
  ようだが、枕に入れると良い初夢が見られるお札?を参拝者が
  取り合う催しもあった。小さいのに充実した内容で、本当に
  ここまで来てよかったと思える貴重な場所である。

  さらに付近の商店街に足を向けると、地元の有志による「笑
  福七福神祭」という催しも行われている。 これは近くの造船
  所から市民が扮する七福神が乗り込んだ宝船を街に出 し、他      暴風雪の中、2010年の初電車が力強く走る
  の参加者と共に付近を練り歩くというもの。主催者曰く、
  「世界一(一年で最も)早く行われるお祭り」だそうで、次第
  に定着しつつあるようだ。

  ここも暴風雪のため、予定していた行事のほとんどが中止と
  なってしまったのだが、それでも訪れた私は主催者側から家
  族分の大入り袋と福餅をいただいてしまった。今年は良い年
  になるかもしれない。

  幸せな時間は瞬く間に過ぎ、もう最終運行の時間に。再び雪        厳島神社と笑福七福神祭双方で頂いた大入袋 大切にしたいもの
  の夜を無料電車で函館駅へ戻ると、ちょうど夜行列車はまな
  すが白い世界の向こうへと旅立っていくのが見てとれた。今
  度は無料電車から連続で初夢にも似た旅に出てみたいものだ
  と、一人静かに今年の一歩を踏み出した。

  皆様もぜひ一度、函館のお得で幸せな年越しを経験してほし
  い。もしかしたら、一生離れないような福がそこで得られる
  かもしれない。
タグ:函館 市電

世界が函館市電に注目 !! 函館で開催された交通環境会議

  デンマークのコペンハーゲンで開催された、国連気候変動
  枠組み条約第15回締約国会議(COP15)は、残念ながら先進国
  側と途上国側の根深い対立で、大きな前進が見られないまま、
  閉幕となった。

  温室効果ガス削減へ向けた道筋が描けず、温暖化問題への
  対策の遅れが危惧される。

  中でも自動車や航空機などを抱える交通分野は、対策の必要
  性が高い重要な分野である。それでも、ただでさえ高速道の    レトロ電車に掲出された国際会議の歓迎文
  値下げや無料化を推し進めようとしている日本・北海道の現
  状で、温暖化防止に向けた世界での先導役を期待するのは無
  理な話なのだろうか。

  しかし去る6月、かすかな希望を感じさせる出来事があった。
  こうした課題に一石を投じる政府間国際会議が、函館を舞台
  に一度に二つも開催されていたのだ。

  一つは「第7回日本・東南アジア諸国連合次官級交通政策会
  合」(以下ASEAN会議と略)、もう一つは「交通分野における     駒場車庫に到着した会議の参加者たち
  地球環境・エネルギーに関する高級事務レベル会合」(以下
  国際会議と略)である。

  6月16日~18日までの日程で、函館市内のホテルを会場に行
  われたASEAN会議には、ASEAN諸国からベトナム・タイ・シン
  ガポールなど10ヶ国が、国際会議の方にはこれらに加えて、
  アメリカ・欧州諸国・韓国など計21ヶ国と11の国際機関・団
  体が参加し、両会議合わせて約100人もの参加者が函館を訪
  れる大規模なものとなった。

  会議では交通と環境問題について、各国間での情報の共有や、
  公共交通の利用促進、人材の育成、途上国支援などが熱心に
  話し合われたほか、地元を代表して函館市長が、函館の交通
  の現状についてスピーチした。

  中でも函館市電については、年間約640万人が利用している
  こと、5分間隔の運行で利便性が高く、環境にも優しいこと
  などの点を挙げて詳しく紹介され、参加者の注目を浴びた。
  このほか、新幹線新函館延伸の計画についても紹介された。

  参加者の市電に対する関心は高く、この会議中だけに留まら
  なかった。翌日にはバスを連ねて、市電の駒場車庫を大挙訪
  問した。

  幸運にも、私はそのすぐ近くに居合わせることができたのだ
  が、参加者たちが純国産初の低床市電でもあるLRVらっくるや、
  北国には欠かせないササラ電車、日本名物?カラオケDVDを搭
  載した貸切車「アミューズメントトラム」など、函館市電自    LRVらっくるを前に説明が行われる
  慢の各車両や施設を次々と見て周るその一部始終を垣間見る
  ことができた。

  どの顔もこれまで見たことがない日本の最新路面電車システ
  ムと、それを支える現場を知ろうと興味深々の様子で、楽し
  げな雰囲気の中にも、何かを吸収しようとする思いと熱気が、
  見ているこちらにまでひしひしと伝わってきた。

  北海道の市電に国際視察団が訪れたのはおそらく、史上初め
  てのことではないだろうか。世界にもアピールできる環境型
  交通を地元にと活動してきた私にとっても、感無量の光景で     いよいよらっくる車内を視察へ
  あった。

  そして早速、その成果は嬉しい発言となって表れた。会議翌
  日の北海道新聞函館版によれば、ベトナムからの参加者が当
  日のらっくる号の視察を、首都ハノイに建設予定の新市電路
  線に活かしたいと話したという。

  この事例は国内のみならず、アジアを中心に国際的にも知名
  度がある函館・北海道で、環境配慮型の交通まちづくりを推
  進すれば、世界の環境政策にも好影響をもたらせる可能性が   続いてアミューズメント トラムの説明が   
  あることを示している。

  それでも現在の函館の取り組みは残念ながら、まだまだ十分
  とはいいがたいのが現状だ。こうした会議が開催されたこと
  自体が市民にさえ、あまりよく知られていないうえ、その成
  果を受けて、交通体系をより、環境に配慮した形にしようと
  いう動きも表面上はまだ、見られない。

  それでも来年にはLRVらっくるの2号機が登場し、新幹線の新
  青森開業も控えている。観光客の減少が続き、今後は人口の   日本の不思議なカラオケ電車に興味深々
  減少も本格化する中で、どのような方向性の地域を目指し、
  その中に環境型交通をどう位置づけるのか。函館市と市民双
  方にとって、今後の課題といえそうだ。

  今年最後までご覧いただき、ありがとうございました。

  皆様によいお年が訪れますように。

  来年もどうぞよろしくお願いいたします。

  国土交通省ホームページ
  http://www.mlit.go.jp/

  ※函館の両会議の概要・結果をご覧になりたい方は、トップ
   ページ上の検索欄に「函館 国際」などの語句を入れてみ
   てください。
タグ:函館 市電

ここまできた ! ! 新幹線新函館駅周辺の現状~2009秋~

  本州から遠く海を隔てた北海道。
  ほんの一昔前までは、ここに新幹線がやってくることなど、
  想像すらできなかった。

  そこに本州へとつなぐ青函トンネルができ、日常的に直通
  列車が走るようになって既に20余年。その間、激しく移り
  変わる時代の中を八戸、そして来年12月開業予定の新青森へと、      現在の渡島大野駅 新函館駅建設地の看板も
  まるで樹木が成長するかの如く伸び続けた新幹線。
  2005年には2015年度の開業を目標に、新函館までの区間が
  着工されるに至った。
  ついに北海道までの新幹線の到達が現実のものとなったのだ。

  それでも事業仕分けなど、ただでさえ、世間で公共工事削減
  の嵐が吹き荒れる昨今。多くの人は未だに新幹線の接近を
  現実のものとして、感じることができないのではないだろうか。

  それでも各所で工事の槌音は響き始めているという。
  新幹線の当面の終着駅となる、新函館駅(渡島大野駅)の予定地
  周辺を、ある秋の一日に訪ねた。

  現函館駅から北へ約18km。ローカル列車で30分余り。          
  穏やかな秋の日差しが降り注ぐ、渡島大野駅のホームに降り立つ。        のどかな現在の渡島大野駅ホーム

  大沼の紅葉見物で賑わう車内とは対照的に、降りたのは私と
  もう一人の地元客だけ。現在の大野駅は毎日、こうした地元
  利用者と、通学生らの利用があるだけの、のどかで優しい時間
  が流れている。そこから新幹線の気配を感じ取ることはまだ、
  難しい。

  もちろん駅舎は無人で、駅前もひっそりとしたものだったが、
  「北の大地に新幹線を 新函館(仮称)駅建設地」と書かれた
  巨大な広告塔が目を引く。やはりここは新幹線予定地なので
  ある。

  駅横の空き地へ歩を進めると、何も無いその中心に赤い標識が       大野駅脇に立つ新幹線の工事標識
  あった。これこそが新幹線の工事標識(正式には中心線表示杭
  という)。正にこの場所を中心に線路が引かれるのだ。

  東京駅から823.8kmの地点。これは東海道・山陽新幹線だと、
  東京-三原(広島県)の距離にほぼ、等しい。開業時にはここから、
  時速320kmの新幹線が東京まで約4時間で結ぶという。

  ちなみに現在のJR運賃・料金にあてはめると、17,740円となる
  計算。当然、開業時には割引きっぷもできるのだろうが、現時点
  でも航空機より安そうなのが、何だか嬉しい。

  駅周辺では新はこだての名を冠した動物病院や、海峡ラーメンの
  店など、早くも開業を先取りしたかのような動きも。線路を跨ぐ
  歩道橋に上ると、ゆったりと雲が流れる秋空の下に、今はまだ、     大野駅全景 奥が札幌方 左端が新幹線予定地
  眠っているかのような未来のターミナル駅の全景を見渡せた。

  ちょうど、函館行のスーパー北斗が通過していく。開業時、この
  場所には新幹線と在来線が、対面で乗り換えられるホームが造ら   
  れる。現在のところ、札幌行の特急全列車が停車し、現函館駅     
  までは新設のリレー列車も連絡する予定で、先頃、函館の経済界     現在の新幹線八戸駅 やがて大野駅もこうなる?
  がその列車にJRが開発中のモータ・アシスト式ハイブリッド車両
  を採用するよう、要望すると伝えられた。従来の車両に比べて
  加速が格段に良くなるため、新函館-現函館駅間を16分程度で
  結べるという。

  これとは別に、JRもスーパー北斗に同方式の新車両の導入を検討
  していて、こちらは新函館から札幌まで約2時間半で結ぶことを
  目指している(始発は引き続き現函館駅の予定)。新幹線の開業は、    新函館駅のアクセスに使用が検討されているハイブリッド車両の試験車
  青函トンネルや大野駅のみならず、道内の鉄道風景全体をも、大
  きく変貌させるものとなりそうだ。

  函館線に沿って、広大な田園風景の中をひたすら歩く。今日は
  穏やかな天候で、各所ですすきの穂が揺れ、トンボが飛んでいく。
  いつしか心まで広々と開放感で、いっぱいになっていた。         函館方を望む 奥が七飯町 新幹線は右端を走り東京へ

  1時間ほど歩くと、その風景の中に忽然と大規模な工事現場が
  現れた。大型のくい打ち機だけで2台。そこから道を挟んで反対
  側には、既に造成された大きな台地が視界を覆う。ここは新幹線
  の函館総合車両基地となる場所である。

  函館線と新幹線の本線路の間に広がる扇状の土地に、新幹線の
  車庫、検修施設、工場などからなる敷地面積36万平方メートル、
  東京ドーム約8個分の広さにも相当する巨大な車両基地が造られる。    土台造りが進む新幹線車両基地の工事現場

  将来、札幌まで新幹線が延伸された場合でも、JR北海道所属の
  すべての新幹線車両が、ここで検査を受けることになる予定で、
  北海道における新幹線の総本山といえる。文字通り、扇の要の
  施設だ。

  今はまだ、雑然とした工事現場でしかないが、造成地の遥か向こう      車両基地工事現場に浮かぶ函館山
  に函館山だけがぼんやりと浮かぶ、象徴的な光景が見て取れた。
  やがて、この場所で函館山をバックに、新幹線がずらりと居並ぶ姿
  を見ることができるのだろうか。

  工事現場を通り抜けると、間もなく七飯町。瀟洒な家並みが広がり、
  あと数年もすれば、一帯の風景も、地域の姿も一変していること
  だろう。新幹線は確かに私たちのところに近づき始めているのを
  実感できた一日だった。

  現地は起伏も少なく、歩きやすいので、皆様もぜひ一度、更に
  工事が本格化する前に、「新幹線を感じる一日散歩」を体験して
  いただきたい。


  北海道新幹線2015年新函館開業ウェブサイト
  http://www.shinkansen-hakodate.com/kikou

  北斗市建設部新幹線対策課 ホームページ
  http://www.city.hokuto.hokkaido.jp/shinkansen/toppage/toppage.htm


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