津軽海峡から南国へ さらばキハ183-1号機

  つい、30年程前まで、現役でSLが使われていた北海道の鉄道。       イベント列車で活躍する晩年のキハ183-1号機
 しかし、その後の近代化の進展はめざましく、全国有数の快足
 を誇る新型特急が各地へ走り、一時は実現不可能ともいわれた        
 青函トンネルも完成。悲願の新幹線の導入も目前に迫ってきた。

  中でも、その近代化を大きく加速させたのはキハ183系特急
 車両だろう。形式記号だけではわからないという人も、おおぞら                            ・北斗・北海・オホーツクなどの名を挙げれば、道内で知らない         有川貨物駅に到着した1号機
 人はいないほど親しまれた名車両である。オホーツクなどでは
 今なお、現役だ。

  風の日も、雪の日も、全道をひたむきに走り続けてきたキハ      
 183。しかし、そんな彼らにも世代交代の波が押し寄せてきた。        
 そしてこの秋、思わぬ話が舞い込んだ。                     1号機の横顔には懐かしのJNRロゴが


     「183の1号機が函館からミャンマーに渡る」


  最初聞いた時は冗談かと私は思った。しかし、それが真実だ        着駅 五稜郭駅(有川) と表記された行先票
 と判明するのに時間はかからなかった。更に驚かされたのはこ
 の行先である。

          「着駅 五稜郭(有川)」

  この意味を知る人も最近では、だいぶ、少なくなってしまっ         多数の作業員によって作業が進められた
 たが、北海道の鉄道にとっては、本当に懐かしい響きを持つ場所
 である。有川とはかつて、函館駅とは別に、連絡船の貨物専用便
 が発着していた桟橋、いわば「もう一つの北海道の玄関口」だっ
 た場所のことなのだ。

  五稜郭駅から約2キロ程離れており、構内の一部はJR貨物の五稜        正に大空に舞い上がった1号機
 郭駅として使われ、当時からの貨物支線を介して、現在も函館地方
 向けの貨車だけが一日3、4本乗り入れている。その有川まで183は
 行くというのだ。ただならぬ気配を感じた私は現地へ向かった。

  11月も半ば、函館港から凍て付く潮風が吹き付ける有川貨物駅
 の傍らに彼らの姿はあった。今回、やってきたのは、つい1年程前         函館山を仰ぎ見る
 まで函館で臨時列車を中心に活躍していた車両たちである。営業
 休止後、釧路の車両基地で保管されていた。

  その中にはベージュと赤帯の、あの国鉄の懐かしい塗色そのまま
 のものもある。それがキハ183系の最初に製造された1号機で、その
 横顔には往年のJNRの文字がどこか誇らしげに輝いている。          北海道の鉄道に別れを告げる

  線路にいる10人程の作業員が車体の下にまで入り込んで、作業を
 次々と進めていく。何のための物かよくわからないが、ボルトが抜
 かれたり、細かい部品のようなものが取り出された。作業は昼の休
 憩を挟んで、数時間にも渡って続けられた。

  そして、強く吹き続けていた風が一瞬、止んだその次の瞬間、と         トレーラーへと降ろされる 後ろには「函」の字がしっかりと
 てつもないことが起こった。1号機の車体がふわりと浮き、鉛色の空
 へと舞い上がったのだ。台車だけが外れているが、後は微動だにも
 せず、まるで空を走り出すかのよう。あまりの光景に言葉も出ない。

  大型クレーンによって、長らく住み慣れた北海道の、日本の鉄道
 に別れを告げ、遠くに函館山や連絡船摩周丸を仰ぎ見るかのように、       函館港を行く 彼方には連絡船摩周丸の姿も
 ひらりと右に一回転して、トレーラーへと降ろされた。

  トレーラーに載せられ、目の前を去って行く1号機の後ろ姿を見送
 るうちに、自分の子どもの頃の時間がだんだん遠くへ行ってしまう
 ような寂しさを覚えた。

  思えば今から約30年前、連絡船に載せられ、函館駅の桟橋から北         1号機と共に旅立つ仲間たち
 海道第一歩の土を踏んだ1号機。それが、くしくも新幹線が青森まで
 達するわずか半月前に、今度はかつての連絡船第二桟橋の跡地から、
 旅立って行くことになろうとは、なんという歴史のいたずらであろう
 か。

  その後、1号機は共にミャンマーへ向かう12両の仲間たちと共に、       2号機と並ぶ まるで国鉄特急全盛期のよう
 数日間、埠頭に留置された。埠頭では鉄道ファンはもちろん、一般
 の釣り人も興味深げに見物する様子も見られた。

  そして、冬の嵐も迫る中、迎えの貨物船に載せられ函館を出港、
 遥か南国の地へと旅立った。もう、彼らに会えることは本当に無い
 のだろうか。しきりに政情不安が伝えられる地域であるが、末長い          迎えの貨物船へと積み込まれる
 活躍と、現地の人々に愛されることを願いたい。

  最後に見た1号機の後ろ姿には、長らく函館に所属していたことを
 示す「函」の字がしっかりと色あせることもなく、刻まれたままで
 あった。                                                                                                                              
タグ:函館 鉄道

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